ジェームズ・B・ハリス: 「ぼくは日本兵だった」

投稿: 2006年3月11日

J. B. ハリスという名前を聞いてぴんと来た人は、きっと若くても僕より数年若い程度の人たちだろう。そう、今や懐かしい大学受験ラジオ講座や百万人の英語のあのハリス先生である。 (残念ながら、 2004年8月に 87歳で逝去。) 「日本語うまいなあ、この人」と、当時中学生だった僕は感心したものだったが、実は戸籍上は「平ヤナギ秀夫」という日本人である、ということを、 10年ほど前にたまたま聴いたラジオの番組で知った。そのハリス先生の本と言えば英語の参考書という印象が強かったが、そのラジオ番組で紹介されていたのが表題の書籍である。

イギリス人の父と日本人の母の間に生まれた著者は、幼年期を日本で過ごし、横浜に住んでいた時に関東大震災で被災した経験を持つ。その後、父の転勤のためハリウッドで小学生時代を過ごすが、再び日本に戻ってくる。しかし、やがて父が急逝し、それをきっかけに日本国籍を取得したという。第2次対戦勃発に伴い、日本国籍を有しているのに外国人収容所に拘束され、釈放されたかと思うと、程なくして日本人として徴兵され、そして日本兵として数々の苦労をされた様子が描かれているのがこの本である。

在りし日のハリス先生の口調を彷彿させるような、ユーモラスな書き方でいろいろな体験が書かれていのだが、読んでいて思わず笑ってしまうようなエピソードも、実際には随分つらい体験だったのだろうと感じさせられる。読みやすかったが、重い内容だった。たまたま つい先日「海嶺」を読んだばかりなので、 またまた「国ってなんだろう」ということを考えさせられた。実はこの「国ってなんだろう」、「民族ってなんだろう」という疑問、僕が国債関係に興味を持ち始めた高校時代に感じて以来、未だに答えを見つけられていない疑問なので、もしかするとどんなものを読んでも聴いても、すぐにこの疑問が出てきてしまうのかもしれない。

いろいろと考えたことはあるのだが、やはり著者が後書きで書いている、自分の言葉が使えなかった時代がある、という事実について改めて考えさせられたというのが一番大きいだろう。自分が使いたい言葉を自由に使える今だからこそ、自分が使う言葉を大切にし、その美しさを保つ努力をしなければならないのではないか、などとも考えさせられた。それから、海嶺を読んだ時にも思ったことだが、やはり人は場所や国につながっているのではなくて、人とつながっているのだと感じる。つまり、自分にとってかけがえのない人とつながっていて、その人がいる所やその人との関係を保つことができる場所につながっているのだと思うのだ。だから、少なくとも僕にとってのハイ・プライオリティは家族や友人なのだと改めて感じさせられた。

ところで、読み終わってなんとなく Web上を検索していて初めて知ったのだが、 (最近も出ているのかどうかは知らないが) J-Waveの DJのロバート・ハリスさんは、なんとハリス先生の息子さんらしいのだ。ハリス先生が戸籍上は日本人で、軍隊経験があるということを最初に知った時も驚いたが、この親子関係にはもっと驚いた。