三浦 綾子: 「海嶺」
以前、どこかのニュース記事か何かで、日本人で最初にアメリカ大陸に足を踏み入れた人がどうこう、という記述があった。てっきりジョン万次郎がその人だと思っていたのだが、その記事によればそうではなかったらしい。そして、その記事で紹介されていたのが表題の作品である。
日本が鎖国政策をとっていた 19世紀の前半、この物語の主人公である 3人の人物を含む 14人を乗せた千石船は、遠州灘で嵐に遭い遭難、長い長い漂流の後、今のワシントン州あたりに漂着した。最初 14人いた乗組員も次々に死に、漂着した時には 3人になっていたという。助かったと思ったのもつかの間、アメリカ・インディアンの奴隷にされてしまう。しかし、イギリスの貿易会社によって救出される。祖国に戻り、そして家族と再会することだけを夢見て、東回りでマカオまで戻ってくる。日本を出帆してから 5年もたった頃、アメリカの商社の船が彼らを日本に送り届けようとしてくれるが、外国船打ち払い令のために、彼らに対して大砲による砲撃が加えられる。最初は江戸、次に鹿児島への上陸を目指したが結果は同じだった。
一言で言ってしまえば悲しい話である。自分の祖国が自分を拒絶するというのが、いったいどれほど悲しい、そして悔しいことなのか、僕には想像もつかない。今そのシーンを思い浮かべても、また涙がこぼれてしまう。そして、この小説が実際にあった話に基づいて書かれているというから、なおさら悲しい気持ちになる。
冒頭にも書いた通り、僕は「初めてアメリカ大陸に渡った日本人」というキーワードに刺激されてこの本を読みたいと思った。その頃の日本やアメリカの文化や生活の違いについて、興味深いことでも書いてないか、とそんな軽い考えで読みたいと思った。しかし、この話はそんなことではすまされない、重い話だった。もちろん生活の違いなどについても書かれていて興味深い。そしてキリスト教に基づいた思想と当時の日本の信仰の違いを学んでいく 3人の登場人物の心の動きなどは、なかなか興味深く描かれている。
物語の最後の方に、「国ってなんなんだ」という言葉がある。祖国が自分を受け入れてくれないなどということがあれば、そして、異国の地で異国の人々に優しく受けいられたという経験があればなおさら、そんな気持ちになるだろう。彼らの一部は、通詞として日本に戻ってくる機会を得たものの、結局祖国に戻って暮らすことができた者はいないそうである。
読みながら、そしてよみ読み終えていろいろなことを考えたが、一つだけ分かったことは、結局僕にとって重要なのは、自分の家族や友人なのだということだ。その人たちとの関係さえ保てれば、国がどうであるかとか、国籍がどうであるかとかは、さして重要な問題ではないように感じられるのだ。この物語の舞台となった時代には、もちろん一度国を離れてしまえば有効な通信手段もなかったわけだから、国とか国籍とかというものが、そのまま近しい人々との関係を維持できるかどうかということにつながっただろう。僕が初めてアメリカに留学した 1980年代の後半でさえ、日本の人々との通信手段は郵便か、決して安くない国債電話だけだったため、その頃でもまだ、維持できる人間関係は住む場所に大きく影響されたと言って良いだろう。しかし、今は少々状況が違う。もちろん世界中どこでもそうだとは言わないが、多くの場所で通信環境が整い、そのコストも下がってきている。世界の名だたる大都会に住んでいれば、連絡を取り合うのはそれほど難しいことではない。まだまだそうではない場所も多いが、そういう場所を減らすための活動は、僕の仲間たちも含めた多くの人々が熱心に勧めている。ありがたいことだと強く感じさせられる。
少々話がそれたが、こういう物語を読むと、そろそろ僕たちは国や民族や宗教を超えて、人間同士が互いに同じ人間であるという意識を持って関係を構築していく努力を加速させなければならないのではないかと感じる。そうして初めて、互いの違いを許容できる社会に育っていけるのではないだろうか。もしかすると今の僕たちは、 150年以上も前のこの物語の時代と比べても、対して前進していないのかもしれない。
最後に、この本の中から印象に残ったたくさんの言葉の中から一つだけ。これはまだ主人公たちが海に出る前の、いわば物語の中ではまだまだ導入の部分で出てきたものだ。
小さな過失は咎めても、大きな過失は咎めない。大きな過失は、既に本人が悔やんでいる。