テキサス、インターン物語 (1) --- 出発まで ---

投稿: 2006年3月6日

5年前の今頃、すなわち 2001年の 3月、僕は当時の職場を辞するための準備を進めていた。とある奨学金 (のようなもの) を受けられることになり、その次の月から 1年の予定でアメリカに行くためだった。丁度 5年前の今日か昨日は、アメリカ大使館でビザの発給を受けて一安心した時だったと記憶している。

僕が受けられることになった奨学金、正確には修学だけでなく、研修を受けるような場合にも利用できるものだった。だから、奨学金というよりは助成金という方が正確だろう。 1年で最大 3万ドルが支給され、その中には月1700ドルの生活費も含まれている。条件は、修学/研修先が英語圏であること、内容が日本の障害者のコミュニティにとって有益なものとなること、というのが主なところだろう。金額的には、生活を切り詰めても、アメリカの大学院で学ぶのにはちょっと苦しいかもしれない額であるが、貯金を取り崩せばなんとかなるレベルだった。

この助成金を受けられることになった当初、僕はアメリカの大学で研究することを目指していた。しかし、僕が動き出したのが遅かったこともあり、 2001年 2月になっても受け入れ先が決まっていないという状況だった。実は、その前の年の末には、一瞬、アクセシビリティ関連の研究で有名な某大学の研究機関が受け入れてくれそうになっていたのだが、あちらから一方的にその話はないものとされてしまって途方に暮れていた。仕方なく、あらゆるつてをたどって受け入れてくれる所を探した。その結果、以前留学していた時にも少し世話になった、テキサスの州立の盲学校で、インターンとして受け入れてもらうことでどうにか話がまとまった。

この助成金には、実はもう一つ重要な条件があった。それは、年度内 (僕の場合は 2001年3月中) に日本を出発すること、というものだった。だから、某研究機関との話がなくなった時には、正直に言って血の気が引いた。ビザの取得やらその他の手続きやらを考えると、その段階で残されていた時間は実質 1ヶ月だった。しかし、いろいろな人の協力でどうにか話をまとめることができ、丁度 5年前の今頃、ビザの申請にこぎ着けたのだった。

その後の 2週間はかなりばたばたとしていた。職場での残務を片付け、出発の準備をあれこれし、助成金に関する手続きを終わらせ、そしてその間に確定申告に出かけ、などなど、次から次へとやるべきことが出てきたような気がする。それもどうにかこなして、月末にはアメリカへ向けて出発することができた。

出発以降のことについては、助成金を出してくれていた事務局に出す報告のためにとったメモがまだ手元に残っているので、これを基に、記憶が薄れないうちに、ときどきここに 5年前の僕の暮らしぶりについて書いてみようと思う。前からその頃のことをなんとか文字にしておきたいと思っていたのだが、 5年というのが丁度良い区切りのような気がして、今回のこの記事からスタートして、ぼちぼち書いていってみることにした。 (がまあ、途中で止めちゃうかもしれませんが。)

それにしても、誰に読まれるか分からないからちゃんとした文章を書こうという緊張感がある一方、どうせ誰も読んでないだろうという安心感で比較的好きなことが書ける、なかなかいいメディアだなあ、などと思う今日この頃です。

(第2話へ続く)