人それぞれ
昨日は、とある友人の結婚式の二次会に出席してきた。パーティーは大盛況で、予想通り結婚した本人たちとはほとんど話すチャンスがなかったのだが、僕が新郎を知る機会ともなった、学生時代からかかわっているとあるグループ (というと怪しいグループみたいですが、単に説明するのがめんどうなだけで、全然怪しくないです) の人たちと、久々に会ってあれこれと話すことができた。
僕が勝手に友人だと思って付き合わせてもらっている人たちは、みんな他人に誇れる人たちばかりだ。でもその関係は様々で、気楽にどんな馬鹿な話でもどんなまじめな話でも聞いてもらえる友人、あるいはそういう話をしてくれる友人となると、それほど数が多いわけではない。しかし、この新郎を知るきっかけになったグループの人たちとは、そのほとんどと学生時代からの付き合いで、とにかく楽な感じがするのだ。そしてこのグループ、団結するととんでもないパワーを持っている。実はおよそ 1年前にやった僕たち夫婦の結婚報告パーティーというのがあるのだが、僕はきわめていいかげんなプランしか考えていなかったにもかかわらず、このグループの友人たちのおかげで、本当にいいパーティーにすることができた。彼らにはいくら感謝してもしきれないくらい感謝している。こんなことを言うと怒られそうだが、結婚してしばらくたっていたこともあり、結婚の喜びよりも、すばらしい友人に恵まれたことに対する喜びの方を強く感じたものだ。
それはさておき、昨日のパーティーはなかなかすばらしかった。演出も良かったし、選曲も良かった。僕たちのパーティーの時は、選曲を店任せにしたのが唯一の失敗だったと思っていただけに、すごくうらやましくなった。そして、パーティーの中で上映された新郎新婦の生い立ちや二人の出会いを紹介する映像も良かった。まあ映像が良かったというより、その内容が良かったわけですが。何というか、劇的な感じがするし、すごく幸せそうなのだ。そんなのを見ていたら、なんだかこれまたうらやましくなってしまった。
自分のことを考えてみると、対して劇的でもない過程を経て結婚したと思う。また、彼らの場合、二人で共有できることも多いようで、それもちょっとうらやましい。一瞬、「いいなぁ」などと思った。でも、考えてもみれば僕も別に幸せじゃないわけでもないし、自分から見れば劇的ではないものも、他人から見ればそう見えるかもしれないし、共有できるものだって日々生活していく中でどんどん増えてきていると思うので、彼らをうらやましがることもないのではないかと思った。きっと彼らは彼らで、僕たちは僕たちで、それぞれ違う幸せをつかむことだろう。
パーティーの後、学生時代からの仲間たちともう少し飲むことになり、場所を移していろいろな話をした。やはりこのグループは気楽でいい。でも、同じ世代や自分よりも下の世代の人たちが、どんどん知識を増やし、そしてすごく活躍している様子を聞くと、どうして僕は成長できないのだろう、などと結構位気持ちになってしまった。ここのところ、少々疲れているのか、どうもこういう感情の浮き沈みのようなものに遭遇することが少なくない。とはいうものの、結果的にはまじめな話にはあまり参加せず、砕けた話ばかりしていたので、かなり気持ちがリフレッシュできたような気がする。
4時頃にようやく帰ってきて、それから歯医者の予約があった午後の早い時間までぐっすり寝て、歯医者に行ってきてからまた寝て、結局 1日寝て過ごしてしまった。でも、これだけ寝ると精神的にもいい影響があるようで、昨日の沈んだ気持ちはどこかへ消えて行ったようだ。自分が持たないものを持つ人を見てうらやましいと思うのは自然なことだけど、自分にも他人が持っていない何かがあるに違いないわけで、自分だけが人をうらやましがらなければいけないような状況にあるわけではない。とか、周りの人ががんばっていて結果として知識や経験を増やしているのを眼にする機会を得たなら、自分もがんばるきっかけにすればいいだけだ。とか、そんな今までは考えなくても分かっていたことを、しっかり寝たおかげで思い出すことができて、随分とすっきりとした気分になれたのだ。
でも、それを思い出せなければ、僕はきっとずっと沈んだ気持ちでいるのだろうな、と思った。もしかすると、精神的に疲れがたまると、こういうことを思い出す、あるいはこういう感覚取り戻すのにすごく時間がかかったり、あるいは取り戻せなくなるのかもしれないと思った。そういう状態がおそらく鬱病などと診断される状況なのかな、と思う。鬱病などの人に関して、「考えようでどうにでもなるんだから、そんなの病気じゃない」などと言う人に時々出会う。でも、昨日・今日の自分の気持ちの変化を考えてみると、そうでもないんだろうなと感じるし、自分にもいつそういう状況が訪れるか分からないなと感じる。
ともかく、昨日・今日の気持ちの変化を通して、自分が思いの外疲れているらしいことがよく分かった一方で、ちょっといろいろと考える機会を得られて良かったとも思う。人はそれぞれ違うのだ。そして僕も自分が心地よくいられる範囲でがんばっていこう、そんな風に考える、昼間寝過ぎて眠れない夜である。