パソコン通信
ASCII24に、 「さよならパソコン通信!——NIFTY SERVE終了に伴い、パソコン通信全盛期を知る人々が東京に集結」 という記事を見つけた。 Nifty-SERVEなどのパソコン通信は、考えてもみれば今の僕に少なからぬ影響を与えている。それが消えていくのは、当然の流れと言えばそうなのだが、やはり寂しい。
僕がパソコン通信を始めたのは、 1992年のことだった。大学進学で一人暮らしを始め、 Niftyを使うためにクレジットカードを作り、当時はハイクラスに属した MNP5の 2400bpsのモデムを買い、その世界に足を踏み入れた。とは言うものの、実はクレジットカードができるまでに時間がかかったため、本来の目的だった Niftyはさておいて、いわゆる草の根 BBSにアクセスし、そしてそのおもしろさにどっぷりとつかって行った。
パソコン通信 (当時はパソ通と略すことが多かったような気がする) を始めて間もない頃、とある草の根 BBSの、いわゆるオフ会に参加した。いつもは文字だけのやり取りをしている人たちと会うというのは、なんとも言えない、わくわくする経験だったことを覚えている。その草の根 BBSには、時々チャットする程度の友達がいた。その人にも、そのオフ会ではじめて会ったのだが、この時のことは今でも忘れられない。その人に会ってまず驚いたのは、ずっと男性だと思っていたその人が、実は女性だったことだ。でもまあ、そういうことはよくある。もっと驚いたのは、彼女が耳が不自由で、手話か筆談でなければコミュニケーションがとれなかったということだ。間にパソコンとそれをつなぐ BBSのホスト・システムがあれば、僕と彼女は何不自由なくコミュニケーションをとることができる。ところが、僕は手話はできないし、また目が見えないから筆談だってできないので、直接会っている時は、誰かに間に立ってもらわないとコミュニケションが全く成り立たない。これには大きな衝撃を受けたものだ。そしてこの時、コンピュータ・ネットワークとか、デジタル・コミュニケーションが持つ可能性というのが想像以上に大きいのではないかと考えるようになったものだ。
この時の彼女が今どうしているのか、残念ながら知らないのだが、パソコン通信を通して知り合った人たちの中には、今でも友人としてお付き合いさせていただいている人も少なくない。これは僕にとっては大きな財産である。
Niftyを使いたいと思っていた理由はいくつかあった。一つは、いろいろなフリーウェアを使いたいということだった。今や懐かしい、数々のフリーウェアをダウンロードしたものである。その当時は、通信速度も遅かったし、 OSが DOSだったこともあり、ダウンロードするファイルのサイズは、今から考えるときわめてかわいらしいものだった。僕の中で「大物」として位置づけられていて、バージョンアップの度に Niftyの利用料の心配をさせられた、名作通信ソフトの wtermでさえ、 100KB前後のサイズだった。最近、ウイルス対策ソフトのウイルス定義ファイルの更新の度に、小さくても数百KBをダウンロードしていることを考えると、笑ってしまうような小ささだ。でも当時は、 100KBくらいの wtermを、 10分近くかけてダウンロードしていたものだった。
Niftyを使いたかったもう一つの大きな理由は、新聞データベースを使いたかったということだ。自分が読みたいと思った記事を、決して安くはない利用料が必要だとは言っても、他人に頼らずに読むことができるというのは、僕にとっては革命的なことだった。僕が Niftyを使い始めた頃に既に存在していたかどうかは覚えていないが、新聞記事のクリッピング・サービスなどというものもあり、これは明らかに僕の世界を広げるものだった。
パソコン通信を始めて 1年ほどたった頃だっただろうか。そのおもしろさに半ばとりつかれていた僕は、自分で草の根 BBSを立ち上げるという、今から考えてみれば随分無駄なこともした。しかし、それでもその頃は「こういうの作りました」とどこかの BBSに書き込むと、人が集まってきてくれたものだから不思議である。
時を同じくして、僕は海外の BBSに国際電話でアクセスするという暴挙に出るようにもなっていた。その頃は、モデムも 9600bpsになっていたが、何かをちょっとダウンロードしたりするのは、かなり勇気のいる行為だった。この時、 BBS間をバケツリレー方式で結ぶ FidoNetなる仕組みが存在すること、そしてそれがアメリカなどではそれなりに普及していて、異なる BBSのユーザ同士でのメールやファイルのやり取りに使われていることを知った。僕は「これだ」と思った。自分の BBSも、世界中に広がっているというこのネットワークに参加させたい、そう思った。早速いろいろと調べてみたのだが、僕の BBSは PC9801で動いていたのに対して、 FidoNet対応のソフトは IBM互換機用のものしか見つけられなかった。そして、日本では全く普及していないらしいことも分かった。これは、おそらく日本はアメリカなどと異なり、市内通話のコストが高いため、定期的に BBS間で通信するというのが困難だったとか、そういう理由があるのだろう。ともかく、僕はこの時、 BBSは、ユーザが意識しないですむ形で他の BBSとつながってこそ面白く、そして価値があるのだということを確信した。そして自分の BBSを続ける意欲がなくなり、開店休業状態になり、引っ越しと同時に消滅させるきっかけにもなったのだった。
こうして考えてみると、僕がその後インターネットに興味を持ち、それにかかわる世界に身をおき続けていることが至極当然のように感じられる。実際、耳の不自由な友人と出会った経験や、 FidoNetを知ることがなければ、きっと僕は他の道に進んでいたことだろう。デジタルだからできる、コンピュータがつながっているから面白い、そういう僕をこの世界に引き込んだ事実を忘れずに、これからもできること、面白いことを追求していきたいと思う。
ところで、「パソ通」とか「オフ会」とかを一発で変換できたのには、少々驚いたと同時に、なんだか嬉しかった。 (というかほっとした。) でもまあ、「オフ会」は今でもそれなりに使われている言葉なのかな。ちなみに「オフミ」という言い方もあったが、こっちは今では使われていないのか、 ATOKはご存じなかった。