テキサス・インターン物語 (2) --- 調理実習 ---

投稿: 2006年7月9日

3月の終わりに渡米した後は、それまでと比べると随分のんびりとした生活になった。元々、僕はこのチャンスを生かして、コンピュータのアクセシビリティに関連する研究をしている組織でのインターンなり研究員になることを目指していた。しかし、 前にも書いたように、その計画は思うようには進まず、とりあえずこの盲学校へ来たのだった。当初、最初の数週間は授業の様子を見学したりしつつ、研究活動ができて僕を受け入れてくれるような組織を探すつもりでいた。

そんなわけで、最初のうちは、コンピュータがどのように教育の中に取り入れられているのかということを中心に、いくつかの教室を見て回った。時間に余裕があったので、一つの教室に 1週間とどまって見学した。すると、コンピュータに全く関係のない活動を見学したりすることになる場合もある。初めのうちは仕方なく見ていたような感じだったのだが、時がたつにつれて、そういう部分も含めて見ることが重要だということに気づき始めた。つまり、そうすることで、生徒たちにとってコンピュータを使うということや、コンピュータを使えるようになるために学ぶということがどういう意味を持つのかが正しく理解できると感じたのだ。コンピュータを使っている部分だけを見ると、大したことをやっていないように見える場合は少なくない。わざわざ教えなくてもできそうなことを時間をかけて教えていたり、一見無意味に感じられることをやらせていたりするような場合もある。しかし、その生徒の障害や能力を考慮すれば、意味のある指導であることが分かるのだ。特に、視覚障害以外の障害を持っている場合 (いわゆる重複障害の場合) はそうだ。単に他の身体障害を持っている場合はともかくとしても、学習障害を持っているような場合には、その生徒についてよく理解した上でなければ、行われている指導一つ一つの意味などとても理解できないと感じられた。

一つ例を挙げてみよう。視覚障害に加えて、ある程度重度の学習障害を持つ生徒数人の教室を見学していた時のことだ。記憶が定かではないのだが、確か、高校生くらいの年齢の生徒が 3人か 4人いたと思う。彼らを指導する教員が一人、そのアシスタントが一人というのが、この教室の構成だった。この教室には、週に一度、簡単な調理実習の時間があった。僕が見学した時には、確かホットケーキを作っていたような気がする。

普通に考えれば、生徒たちにいろいろと準備や調理の作業をさせるのが、このような授業の目的であるはずだ。ところが、実際には必ずしも全ての作業を生徒たちがするわけではなかった。多くの作業を先生やアシスタントが行っていた。しかし、どういう作業をする必要があるのか、自分たちに何ができて、どんな作業は先生たちにお願いした方が良いのかといったことは、なるべく生徒たちに考えさせるようにしていた。そして、先生たちが作業を引き受けるにしても、生徒に頼まれるまでは手を出さない、というような方針も見て取れた。もっとも実際にはコミュニケーション能力が高いわけではない生徒たちなので、先生に促されて作業を頼むというようなこともよくあった。

この授業が始まった時、僕は大きな疑問を感じながら見学していた。というのは、社会に出てから、おそらく自分で料理をしたり、ましてや一人暮らしをすることがないであろう彼らたちに、調理実習をさせることの意味を見いだすことができなかったからだ。しかし、 2時間程度かけてゆっくりと進行する授業を見ていて、そのねらいが料理以外の所にあることが分かってきたのだ。つまり、この一連の作業を通して、計画を立てたり、人に物を尋ねたり、人に物を頼んだりすることを経験させ、彼らのコミュニケーション能力や考える力を養おうというのである。そして、もう一つのねらいは、こういった作業を通して、教員の側が生徒一人一人の障害の程度などをより正確に把握するところにもあるようだった。学習障害の場合、身体障害と比較すると、見た目からその障害の度合いなどを判断するのがより困難なので、こういった方法が有効なのだと思う。 (もっとも、身体障害に関しても、見た目だけでは判断できない部分がかなりあるのだが。)

このような手法は、おそらく教育について学んだことのある人にとっては当たり前の物なのだろうと思う。しかし、ほとんどそういう学問に触れる機会がなかった僕にとっては、大変新鮮な物に感じられた。同時に、これまで単にコンピュータを使えるようにするのが目的だと思っていた情報処理教育に関しても、実はそれだけではいけないのではないかという疑問がわき上がってきた。僕は盲学校教育をそれなりの期間受けてきたのだが、そんなことを意識したことはそれまでなかった。そういう視点で物を見ていなかったからかもしれないし、あるいは日米で考え方が違うからかもしれない。いずれにしても、この学校でもう少し、じっくりと物事を考えるのも悪くないな、などと思い始めていた。

(第3話へ続く)

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