この季節になると思い出すこと

投稿: 2006年8月6日

17年前の 1月か 2月のことだ。当時、僕はアメリカの高校に留学していた。アメリカの学校は日本とは異なり、毎日の時間割が同じなのだが、その時の時間割では、 3時間目の授業で ESL (English as Second Language) という、英語を母国語としない人たちのための英語の授業をとっていた。当時の僕は、アメリカの高校生活にもだいぶ慣れ、英語力も ESLをとらなくてもいい程度まで伸びていたのだが、やはり基本を抑えることは重要だと思ったので、その授業を受けていた。

その ESLには、中南米から来た子供たちが多かったのだが、他にも、デンマークからの留学生とか、ベトナム難民の子とか、中南米以外から来た生徒たちも何人かいた。そんな中に、台湾から移住してきたらしい女の子がいた。その段階での彼女の英語は、まだたどたどしく、なかなかスムースなコミュニケーションがとれなかった。しかし、とにかくがんばっていた子で、どんどん英語力をのばして行っていたようだ。

同じアジア人同士ということで互いに親近感を感じていたのか、そんな彼女と時々言葉を交わすようになり、だんだんと仲良くなっていった。とは言っても、彼女と会うのはその授業の時だけだったし、授業の間は席が離れていたので、話しても本の短い時間だった。最初はどこから来たのか、とか、他にどんな授業をとっているかとか、そんなたわいない話をするだけだった。でも、ある時、彼女が急に日本語で挨拶してきたことがあった。僕はものすごく驚いて、どこで覚えたのか何気なく尋ねてみた。すると彼女は、「おじいちゃんが日本語がぺらぺらで、小さい時に教えてもらった」のだと言った。その時は「ふーん」と思っただけだったのだが、なぜ彼女のおじいさんが日本語がぺらぺらだったのか、 その後いろいろと考えて、大変重苦しい気分になった。当時の僕は、それが戦前の日本の植民地政策の影響だろうと思い、そして母国を恥じ、自分の日本人としてのアイデンティティを恥じる気持ちでいっぱいになった。それがきっかけで、僕は彼女と話すことを避けるようになっていたのだと思う。こちらの気持ちの動きに気づいてか、彼女の方からもあまり話しかけてくれなくなってしまった。僕は残念に感じつつも、ほっとした気持ちにもなっていた。その重苦しい気持ちを抱えたまま、とても彼女と普通に話すことができないように感じていたからだ。

その後数ヶ月で僕の留学生活は終わったので、それ以上彼女と仲良くなることはなかった。しかし、帰国してから数年たった頃から、あの時の自分の行動について後悔するようになっていた。彼女のおじいさんが日本語が話せたということに関して、仮に僕の推論が正しかったとしても、それを理由に僕たちの世代が負い目を感じたり、積極的な交流をしないなんていうのは、全く筋の通らない話だと感じられるようになったからだ。もし本当に過去の戦争を悔いているのなら、今僕たちができることは、過去を負い目に感じて彼ら と接することではなく、過去よりもむしろ未来を見据えて彼らと仲良くし、協力関係を作っていくことだとも感じるようになった。

それにしても彼女は今どうしているだろうか。毎年この季節になると、そんなことを考えながら、昔のことを思い出す。