アクセシビリティとクリエイティビティ

投稿: 2006年11月26日

先日、アックゼロヨンというアクセシビリティとクリエイティビティの両方に優れた Webサイトを表彰しようというアワードの授賞式があった。僕は僭越ながらこのアワードの審査員の一人なので、この授賞式にも出席し、 Web制作に関わる多くの人々と話す機会を得た。その中で、ある Web制作会社の関係者が、「このアワードをもらっても 1円にもならない」という趣旨のことを言っていたのがずっと気になっている。

発言の一部を取り上げて揚げ足をとるようなことはしたくないので、まず簡単に話の流れを書いておこう。これは、授賞式後の関係者を集めた打ち上げの場で、僕がその人と話したことだ。だから酒の席での発言であるということは一応書いておくべきだろう。その時、まず僕がこの人に対して、彼の会社が関わったサイトもこのアワードに応募すればいいのに、というようなことを言った。彼がどのように答えたのか正確には覚えていないのだが、「それはあまりやりたくない」とか「それはやるべきではない」とかいうような趣旨の答えが返ってきた。僕は、多少なりともこのアワードに関わっている彼の会社が応募することがフェアではないと考えての発言だと理解したので、審査員が所属している会社が制作したサイトも多数応募しているし、受賞した所もあるのだから問題はないだろう、というようなことを言って食い下がってみた。これに対する彼の答えが、前述の「このアワードをもらっても 1円にもならない」というような発言だった。本当はここでしっかりと反論しておくべきだったと思うのだが、彼ならそう考えるのも無理はないな、というように妙に納得してしまい、結局その話の続きはしなかった。しかし、その後この発言を思い出す度に疑問を感じ、そしてこの発言について考えさせられている。

この発言には二つの可能性がありそうだ。一つは本当にそう考えての発言であるという可能性、もう一つは、本当はそうは思っていないが、僕を黙らせるための発言だったという可能性だ。後者であることも考えられなくはないが、以前からの彼の発言などを考えると、どちらかというと前者ではないかという気がする。仮に後者であったとしても、これは Webのこれからを考えていくべき人がするような発言ではなく、もっと別の方法があったのではないかと思う。もっとも、後者であってくれれば僕が彼に対して悪感情を持つだけの話で、あれこれと考える必要はないので楽なのだが、前者であると仮定して彼の発言についてさらに考えてみた。

彼が本当にこのアワードを受賞することに価値がないと考えていると仮定した場合、さらに三つの可能性が考えられそうだ。一つは、彼はそもそもアワードという物に価値を感じていないという可能性だ。もしそうならば、それはそれで一つの崇高な考え方だと思う。しかし、彼の会社の サイトを覗いてみると、結構前のアワード受賞について掲載されている。もしアワード全般に価値を感じていないのであれば、サイトに載せる価値もないと考えるのが自然であろうから、この最初の説である可能性はきわめて低いだろう。

二つめの可能性は、このアワードには十分な権威がないので、もらったところで宣伝効果も低く、制作関係者のモティベーションにもつながらないと考えているという可能性だ。確かにこのアワードは今年で 2回目であり、さらに言えばクリエイティビティについても評価するという方針になったのは今回からなので、まだまだ権威はないだろう。しかし、彼もこのアワードの関係者なのだから、その権威を高めていく努力をするべき立場にあるのではないだろうか。そうではなく、このアワードを否定するようなことを言うのは、真剣にアワードを運営している人たちや、このアワードのために努力した応募者に対してはなはだ失礼である。そんなことならば、最初からアワードに関わらない方が彼にとっても我々にとっても良かっただろう。しかし彼はこのアワードに関わる選択をしたわけだから、実際にはこのような考えが強い訳ではないのではないかと期待したい。

最後の可能性は、アクセシビリティを評価するようなアワードには価値を感じないと考えているという可能性だ。これまでに彼の会社が制作したサイトを見たり、これまでの彼とのやり取りから考えて、実はこの可能性が一番高いのではないかという気がしてならない。

ところで、彼がそう考えているかどうかに関係なく、これは重要な問題なので、もう少し考えてみた。アックゼロヨンアワードを受賞するということは、すなわちアクセシブルでクリエイティブなサイトを作る能力を持った制作会社であると認められた、ということだと考えられるだろう。そのことが「1円にもならない」のだろうか。そもそも「アクセシブル」で「クリエイティブ」とはどういうことだろうか。

まず「アクセシブル」とは、「情報を取得できる」、「利用できる」という意味だと考えられている。しかし今回のアワードの審査員の間では、もう一歩進めてただ単にに「できる」のではなく、「しやすい」もののことをアクセシビリティが高いというのではないかという考えが多かったように感じる。一方「クリエイティブ」の方だが、「視覚的に優れた」という意味合いで使われることが多い言葉だと感じる。しかし、もしそれだけならばとても「創造的」とは言えないだろう。僕自身は、クリエイティブなサイトとは、視覚的に優れているのは当然として、見やすく、使いやすく、見ていて、使っていて楽しいと感じられたり、見たくなる、使いたくなるようなサイトのことではないかと思う。たとえば、視覚的なデザインを優先した結果として、欲しい情報を得るために苦労しなければならないようなサイトは、視覚的に優れてはいても、クリエイティブなサイトではないと考えるべきではないかと思うのだ。

と、こんな風に考えてみると、僕の中でのクリエイティブとはアクセシブルをある程度包含する考えであるようだ。このクリエイティブの考え方に、「より多くの人が使いやすいようにする」という工夫を加えると、「クリエイティブでアクセシブル」になるのではないだろうか。世の中がそのようにこれらの言葉をとらえているかどうかはよく分からないが、世の中がこのような Webを求めるような傾向は徐々に強くなってきているように感じられる。

僕たちの生活の中で用いるあらゆる道具に関して、格好良ければ使いにくくても良い、と考えて道具を選ぶ人たちがいることは事実だ。しかし、もし同等に格好が良い二つの製品があった時に、一方がより使いやすいというような場合には、ユーザの大半が使いやすい方を選ぶのではないだろうか。 (もちろん、「人が使っているような物は使いたくない」というこだわりもあるだろうから、全員がそうではないと思うが。) また、格好良ければ使いにくくても使ってくれる人をターゲットにして、それを徹底的に意識して作られた製品もあるだろう。逆に、使いやすければ格好が悪くても使ってくれる人をターゲットにした製品も多くあるだろう。しかし、理想は格好が良くて使いやすい製品だろう。 (実際には価格という要素がこれに加わって話はそんなに簡単ではないのだが。)

Webもそれと同じなのではないかと僕は思うのだ。格好が良くてだれにとっても使いやすいサイト、これが Web制作者が目指すべきものだと思うのだ。まさにアックゼロヨンが表彰する対象となるようなサイトだ。つまり、このアワードを受賞するということは、情報やコンテンツの提供者として、そして Web制作者として、 Webの理想を追求する姿勢を評価されるということになるといえるだろう。

では、このことが「1円にもならない」とすると、それは僕が考える上述の理想が世の中のそれとは乖離しているからか、あるいは彼が世の中がそのような理想を持っている、もしくはそうなりつつあるという流れを認識していないからだろう。どちらも可能性はある。僕が考える Webの理想が、世の中では理想としてとらえられていないということを感じることはしばしばある。しかし、これは「まだそうである」というだけで、ここ数年、明らかに世の中がそういった方向に動き出しているように感じられる。特に公共性の高い組織のサイトや、社会貢献の姿勢を全面に押し出している企業のサイトにおいては、アクセシビリティに対する意識は数年前に比べれば格段に高くなっていると思う。そのようなサイトの運営者たちが、アクセシビリティが高いことだけに満足しているかというとそうではないだろう。やはりクリエイティビティの面でも優れていて、そしてアクセシビリティの面でもより上を目指す、そうやって Webの持つ特性を引き出し、利用価値の高いメディアにしていきたいと考えるのではないだろうか。多くのサイト運営者がそのように考えるようになった時、 Webサイトに求められるのは格好良くて使いやすいことであり、 Web制作会社に求められることはそのようなサイトを提案、構築する能力だ。その時、アックゼロヨンのようなアワード受賞歴が生きてくるのではないだろうか。少なくともそうなるようなアワードに育てられるように、僕を含む関係者は努力してきたはずである。

世の中のニーズがそうなった時、アクセシビリティに関する評価が低くても Web業界でやっていくためには、おそらく他の追随を許さないレベルの視覚的なデザイン能力などが必要になるのではないだろうか。それを追求するという方針の会社であれば、ぜひ大いにがんばっていただきたいとは思う。が、そうは思うものの、おそらくそういう会社はアクセシビリティに優れたサイトを作る能力を持つ会社の下請けとして、そのサイトの部品のアートデザインをするような立場になってしまうのではないかという気がする。あるいは、「見た目が良ければ使いにくくても良い」と考える組織のサイトを作るような場合には、アクセシビリティは無視しても良いだろう。しかしその場合、サイトの運営組織が持つ顧客がそのような意識を受け入れてくれるような人たちでなければならないだろう。こういったケースでは、 Webだけでなく、その組織の確立されたブランドイメージやサービスに対する顧客満足度の高さなども重要な要素になるだろう。したがって、その部分も含めて CIを提案できるような制作会社が、格好良くて使いにくいサイトの提案や構築をするのであれば、まあそれなりに商売にはなるかもしれない。しかし、これではもう制作会社というよりはコンサルティング会社である。そして残念ながら、件の彼の会社がコンサルティングに優れているという話は聞いたことがない。

また、彼とアクセシビリティについて話す度に、アクセシビリティを考慮すると、彼が言うところの「クリエイティブなサイト」、僕が言うところの「視覚的に優れたデザインのサイト」の構築ができないということを彼は言う。 10年前ならそうだったかもしれないが、今やこれはそれほど正しいとは思えない。もし本当にそんな風に思っているのだとすると、今の技術を超越したものすごい視覚的デザインしか頭にないのか、あるいは単に勉強不足かのどちらかだろう。未だに「Flashは使っちゃいけないんでしょ?」とか「tableもだめなんでしょ?」とかいうことを彼が言っているのを耳にすることがあるので、まああまり勉強はなさっていないのであろう。

このようにあれこれ考えてみると、結局彼の「1円にもならない」発言は、単に勉強不足の人がアクセシビリティの高いサイト構築に対する需要に気づいておらず、そしてそれをすることの価値を感じていないということを表しているだけだという気がしてくる。だから、そんな人の、それも酒の席での発言に腹を立てるのはばかばかしいことのようにも思えるが、やはり Web業界に関わっている人がこれでは困るという気持ちは大変強い。一方、アックゼロヨンの際には、本当に真剣にアクセシビリティに取り組み、日々がんばっている人たちにも大勢お会いした。そしてそういう人たちの数は、僕が Webを本職としていた数年前に比べて明らかに増えてきている。僕はそういう人たちに期待したい。そして彼らと一緒に Webを育てていきたいと思う。同時に、時代遅れの自称 Web制作者には、早くアートデザイナーへ鞍替えすることを強くお勧めしたい。