「乱文多謝」について考える

投稿: 2007年3月8日

先ほど書いた文章の最後に、「乱文多謝」と書いた。実は、最初は「他社」と誤変換していたのだが、友人がそのミスを指摘するメールをくれた。そしてさらに、そのメールには「これって誤用だよね」とも書かれていた。

実は、「乱文多謝」と書きながら、僕はそのことを何となく考えていた。誤用なのにそれが定着してしまって、結果としてみんなが使うようになり、誤用という考え方が少数派になってしまう、といううようなことについて触れた文章の最後だったので、「これもそういうフレーズだよなあ」などと考えていたのだ。僕自身、「乱文多謝」とか「長文多謝」とかいう表現をしばしば眼にしているような気がするので、もうこのフレーズはすっかり定着したものなのかなという印象を持っていた。そして、同じ意味合いで、かつおなじリズムのフレーズを思いつかなかったので、あまり考えずに「乱文多謝」と書いたのだが、即座に誤用だと気づく人がいたということで、僕が感じているほどにはこの表現は定着していないのだということが分かった。そしてメールをくれた友人は、このような使い方は初めて見た、とも書いていた。

言うまでもないことだが、「多謝」は、「大いに感謝する」という意味であり、本来は「詫びる」とか「謝る」とかいう意味ではないはずだ。ただし、手元の PCにインストールされている明鏡国語事典によれば、「多罪」の誤用として、多謝を「謝る」という意味で使うことがある、と書かれている。 (例としては、「乱筆多謝」が挙げられている。) 一方、「多罪」を引くと、「多謝」とも書かれていたりして、やはりだんだんと誤用が定着しつつあるのかもしれない。

もっとも、そもそも ATOKを使っていて誤変換をするのだから、まだあまり定着した表現ではないのだろう。そんなことを思いつつ、果たしてどれくらい使われている表現なのかと、 Googleで「乱文多謝」と「乱筆多謝」を検索してみた。結果は、それぞれおよそ 750件程度だった。経験的に、これは広く使われている表現とはとても言えない件数だと思う。参考までに、「乱筆乱文にて失礼」を検索してみると、こちらは 85,300件程度見つかった。やはり「乱文多謝」はまだまだ誤用とされてしかるべきものなのだろう。

では、先ほどのような場面では、どのように書くのが適切なのだろうか。僕は、「乱文多謝」というフレーズのリズムが何となく合っているような気がしたのだが、そもそも本当に乱文を詫びたいのであれば、リズムで言葉を選ぶべきではいのだろう。「乱文失礼しました」とかなんとかするのが妥当なのかもしれない。あるいは「乱文にお付き合いいただきありがとうございます」などとするのも悪くなさそうだ。

文章のリズムというのはかなり大切な物だと思うが、それによって伝えたいことが正しく伝わらないのでは本末転倒である。僕の書いているものは、少なくともリズムが売りの文章ではないので (いや、その、実は特に売りはないんですが……) 、そういう基準での言葉の選択は良くないなと感じさせられた。