Wikipediaの影響力
AFP BB Newsに「ウィキペディアで亡くなってしまったコメディアン - 米国」という記事を見つけた。それによると、 Wikipedia上の Sinbadというアメリカのコメディアンに関する項に、彼が亡くなったという誤った情報が掲載されたという。
シンバッド(本名:David Adkins)は、ウィキペディア内の自身についての情報に、彼が心臓発作で亡くなったと誰かのいたずらで加えられてから、友人や家族から数多くの心配するメッセージを受け取った。
改めて、 Wikipedia上の情報の伝わる早さや影響力というのを感じさせられる。また、この記事は、こんな風に結ばれている。
同サイトは適格な研究者や専門家らのチェックがないことから、批判の対象になってきた。
確かにそれはそうなのだが、 Wikipediaの仕組みを考えれば、そんなことは当然のことであり、そのことを批判しても仕方がないように思う。批判されるべきは、情報ソースの特性を理解せずに情報を受け取り鵜呑みにしてしまうユーザなのではないだろうか。 (もちろん、場合によって僕もそのユーザに含まれていると思う。) 我々情報の受け手は、常にその情報源を意識して、その情報の信頼性を判断しなければならず、これは Wikipediaに限った話ではないだろう。当然、情報源だけが情報の信頼性を決める要素ではなく、その他のあらゆる要素も加味する必要があるわけだが、そういった検討をせずに情報を受け取っているユーザの方にも、少なからず問題があるような気がする。
さらに言えば、既存のマスコミ各社が流している情報にしても、全てが専門家のチェックを受けたものでないことは明らかである。だから、賢明な情報の受け手は、いくらマスコミからの情報と言えども、何でもかんでも鵜呑みにするようなことはないだろう。 Wikipediaを含むインターネット上の情報に関しても、各個人の判断基準に基づいて、同様の接し方をすればよいだけである。ただ、マスコミからの情報は基本的に信頼するという人たちが少なからずいるのも事実である。だからこそ、多くの人が触れる情報を提供するマスコミは、信頼性が高い情報を流すことを求められてきている。そして、このような人たちの中には、インターネット上の情報もマスコミからの情報と同様に信頼している人たちも多いのではないだろうか。だからこそ Wikipediaなどに信頼性の高さを求める声や、上に引用したような批判が生まれてくるのだろう。
AFP BB Newsの記事にもあるように、 Wikipedia側でもそれなりの対策は講じている。それが対策として十分かどうかは分からないし、もしかすると他にもできることはあるかもしれない。繰り返しになるが Wikipediaに対してだけ情報の正しさを求めるのではなく、やはりユーザ側の意識を変えていくことも必要だろう。そのために何ができるのか、そんな議論も進めていかなければならないだろう。新しく生まれてきたものを批判するのはどちらかと言うと簡単なことだ。しかし、せっかく生まれてきた新しい物をどうしたら生かしていくことができるのか、批判することよりも、そんな議論をすることにエネルギーを使いたい物である。自戒も込めて。