テキサス・インターン物語 (12) -- 親の思い --
引っ越しの準備はさほど大変ではなかった。日本から持ってきた物は、日本から来た時同様にスーツケースに詰め込めばよかったし、オースティンに来てから増えた荷物も大した量ではなかった。増えた物と言えば、ラジオとか時計とかそういう小物ばかりで、唯一の大物はデスクトップ PCくらいだった。だから、引っ越しの前日、気合いを入れて始めた荷造りも、 30分もしないうちにすっかり終わってしまった。
荷造りを済ませてリビングへ行くと、僕がいたゲストハウスにこの夜滞在するという夫婦が到着していた。彼らは、この盲学校に通う高校生の男の子の両親で、翌日、学校での息子の様子を見る予定だということだった。僕は、この夫婦の息子を直接指導したことはなかった。しかし、時々僕がいた教室に他の生徒と一緒にやってきて、指導を受けていたことがあったので、名前を聞いてすぐにどの生徒のことか分かった。
この生徒 (仮に Tuckという名前だったことにしよう) は、物腰の穏やかな、人の話をよく聞く生徒だった。両親の穏やかな様子を見ると、なるほどこの人たちの子供なのだなと納得させられた。彼の視覚障害は、たしか全盲に近い弱視だったと思う。ただ、彼がいたクラスの生徒たちには、みんなそれぞれおそらく比較的重度の学習障害、そしてきっと発達障害もあった。だから、 Tuckやそのクラスメイトはそのような障害がない生徒が受けるような授業にはついていけなかったし、またいろいろなスキルを身につけるのも容易なことではなかった。
僕はそんな彼の両親としばらくの間雑談した。でも、その時何を話したのか、実はほとんど覚えていない。彼らと話しながら、僕はずっと考え事をしていて、あまり話に集中できなかったのだと思うのだ。僕が考えていたこと、それは Tuckの両親が、自分たちの息子の将来についてどんな風に考えているのだろうかということだった。障害を持つ子供の親なら誰しも、おそらく多かれ少なかれ自分たちの子供の将来に対する不安を抱えているだろう。僕の両親も例外ではなく、聞けば彼らも僕の将来を案じて、彼らが亡くなった時に僕が受給できる年金のような物の掛け金を、比較的最近まで払い続けてくれていたそうだ。
僕自身は数知れぬ幸運やすばらしい出会いに恵まれて自分自身の手で生計を成り立たせることができている。実際、その事で僕の両親は随分安心してくれているようだ。しかし、 Tuckの両親はどうなのだろうか。彼らは、安心して年を重ね、彼らの物腰同様穏やかに人生の終わりを迎えることができるのだろうか。僕だって、場合によっては Tuckと同じ境遇におかれていたかもしれないわけだが、そうなっていたとして、僕の両親の暮らしはどうなっていただろうか。日本にも Tuckのような人々は少なからずいる。僕が小学生の頃に通っていた盲学校には、視覚障害に加えて別の障害を持っていた子供たちも多くいた。彼らは今どうしているのだろうか。そして彼らの両親は心穏やかな暮らしをできているのだろうか。
そんなことを考えていて、ふと以前に留学していた時のことを思い出した。当時僕をホームステイさせてくれた家族には、僕と同じ年の、やはり全盲の男の子がいた。僕が利用した留学団体の現地の担当者がこの家族と仲が良く、この家族ならば視覚障害者を受け入れることにも抵抗はないだろうから良いだろうという判断をしたのだと思う。確かに抵抗はなかったようだ。しかし、生活をともにしていくうちに、僕は何とも言えない居心地の悪さを感じるようになっていた。それは、今から考えれば、この全盲の男の子にもやはりある程度の学習障害なり発達障害なりがあったことに起因しているのだと思う。たぶんこの家族にとって、彼や僕の年代の全盲の男というのは、みんな彼と同じようなものだという意識があったのだろう。でも実際には、彼と僕の間にはいろいろと違う点があった。英語がぼろぼろだった最初の頃はともかくとして、ある程度言葉の問題がなくなった後、僕は高校で普通に授業を受けていたのだが、彼は学習障害を持つ生徒たちを主な対象とした授業を受けていた。おそらく彼の両親はそれを彼の視覚障害によるものだと考えていたような気がするのだが、同じ障害を持ち、同じ年齢の僕が彼と同じではない状態にあることを目の当たりにして、きっとあまり良い印象は持っていなかっただろう。当時の僕は、彼の障害について、全盲であるということしか知らなかったので、特に深く考えることもなく、彼の両親の気持ちに思いを巡らせるようなこともなく、単に居心地の悪さだけを感じていたのだが、 Tuckのことをあれこれと考えていて、ようやくこのホームステイ先の家族の気持ちを少し理解できたような気がした。
そんなことを考えている僕の目の前には、相変わらず穏やかな調子で話す夫婦がいた。かれらの目に僕はどう映っているのだろうか。彼らは Tuckが大学に行ったり、その後普通に就職したりすることはまずないであろうことを知っているだろう。その一方で、表面的には Tuckと同じ障害を持っている僕が、 Tuckがこれから歩むであろう道とはかなり違った道を歩いてきたことも知っている。本来、そのどちらが幸せかとか、どちらが優れているかというようなことはないはずで、自分の能力の範囲で精一杯生きている方が幸せだし優れているのだと思うのだが、世の中が必ずしもそういう見方をしないであろうと僕は思うし、きっと彼らもそれに近いようなことを感じているだろう。そして僕自身の生き方を見てみると、どうも僕は数知れぬ幸運に安心しきっていて、 Tuckよりもいい加減な生き方をしてきているような気がしてならなくなって、そしてなんだか彼らの前にだらしない格好で座っているのが申し訳ない気分になってしまった。
障害を持つ子供の親が安心して年をとれる、健常者が「今自分が障害者になっても生きていける」と思える、若い夫婦が「自分たちの子供が障害を持って生まれてきても心配することはない」と感じられる、そんな社会はどうやれば実現できるのだろうか。僕は自分の幸運の上にあぐらをかいて座っているだけでなく、社会のために何かしなくて良いのか。そもそも僕の幸運はそろそろ終わるかもしれない。でも、仮に幸運がつきても、両親が心配しないようにだけはしなければならない、彼らはすでに僕のために十分に心配し、苦労し、努力してくれたのだから。そんなことをあれこれと考えているうちに、盲学校のキャンパスで過ごす最後の夜は更けていった。
(第13話へ続く)
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