池井戸 潤: 「空飛ぶタイヤ」
たまたま聴いていたラジオの番組に、この本の著者、池井戸潤さんが出ていた。仕事をしながら聴いていたので、細かい内容までは分からなかったのだが、基本的には作品の内容に関する話よりも、池井戸さん本人のことを聞くインタビューのような感じだった。その聞き手が番組の最後に、まだ池井戸さんの作品を読んだことがない人にはぜひこれを、と薦めていたのがこの作品、「空飛ぶタイヤ」だった。何となく興味を感じたので読んでみた。
この本は、町の運送会社が輸送中に起こしてしまった1件の事故にかかわる、運送会社社長の戦いを中心に描かれた物語だ。事故は、輸送中の車両のタイヤが突然外れ、歩道を歩いていた母子を直撃し、母親が亡くなり、子供は軽傷を負ったというものだ。車両の製造元は事故車両を調査し、整備不良が事故原因であるという結論を出した。これを受け、警察も整備不良が原因の業務上過失致死罪での立件を目指して捜査を進めた。社長も最初は整備不良だと思ったが、若い整備士の仕事は非の打ち所のないもので、どう考えても整備不良だとは言えない状況であることが分かる。やがて社長は、この事故以外にも同様の事故が発生していることを知り、そして事故の原因は整備不良ではなく、車両の構造的欠陥なのではないかという疑念を持つ。
その一方で、この輸送車両のメーカーの中では、この構造上の欠陥の存在を知る者、知らない者、知りつつ隠蔽工作をする者の駆け引きが繰り広げられる。それぞれの立場の者が、それぞれ異なる利害に基づいて動く様が、非常にリアルに描かれている。
そして、この車両メーカーと同グループの銀行でも、3年前にリコール隠しが明らかになり業績がふるわないこのメーカーへの融資を行うかどうかということが問題になっていた。そこにもたらされる新たな隠蔽の噂。行内での議論、銀行と自動車会社の駆け引きなど、これもやはりリアルに描かれている。
ここまで僕が書いたものを読んで、「ああ、あの会社のあの事故ね」と思った人も少なくないだろう。僕も現実に起こった「あの事故」を思い出しながら読み進めた。出てくる企業名などはおそらく全てが架空のものだと思うのだが、この自動車会社は○○社、この銀行は□□銀行、などと無意識のうちに頭の中で置き換えながら読んでしまうほど、その描写は細かく、そして現実にこういうことがあっても全く不思議ではないと感じさせるものだった。
ところが、本の最後には、この物語が実在の企業などとは関係のないフィクションであることが書かれている。全てがフィクションなのかもしれない。しかし、何度も書くが、この物語に登場する企業やその中での人の駆け引きなどは非常にリアルだと感じさせる描かれ方になっている。確かに最後にこの自動車メーカーがどうなったか、という部分は現実とは一致しないから、やはりフィクションであるのだろう。綿密な事実調査に基づくフィクションなのだろう、というのがとりあえずの僕の結論だが、フィクションだと言われなければ気づかない人だっていそうだ。
冒頭のラジオ番組の中で、著者は作家になる前、銀行勤務の後、コンサルタントとしての活動をしていたと言っていた。銀行内、企業内での駆け引きや、企業と銀行の関係などが詳細に、かつ現実感のある形で描かれているのは、著者のこの経験からきているのだろう。そして、この経験を通して垣間見たいろいろな企業の内情なども織り込まれた結果がこの物語なのだと思う。
この本、かなりの長さなので、最初は、「眠くなるまで」と思って読み始めたのだが、とにかく引き込まれるように読み切ってしまった。企業の存在する意義、その歯車となって働くということの意味、家族の結びつきの重さ、そんなことをあれこれと考えさせられた。フィクションだとはいえ、社会の有り様を的確に描いているのではないかと思う。倫理観と経済性を天秤にかけないといけない時、僕ならどうするだろう、どうしてきただろう、そんなことも考えた。
確かに「この人の本、もっと読んでみようかな」と思わせるおもしろさがある本だった。