2010年大晦日
今年も気づいてみればもう大晦日だ。僕は、当日の夜になってようやくその日が自分の誕生日だったことを思い出すような、特定の日に特別な意味を見いだすことが苦手というか嫌いというか、そういう習慣がないような人間なので、大晦日だからといって特別な感慨はないというのが正直なところだ。ついでに言えば、そんなこともあって年末だからといってあわてて大掃除をしたりもしない。 (いや、これはただの言い訳か!?) とは云うものの、比較的のんびりと過ごすことができて、世間的には良い区切りの日である大晦日には、この1年を振り返ってみるのも悪くないかとも思う。
今年の僕にとっての一番大きな出来事は、6月に父が亡くなったことだ。周囲も、おそらく本人も全く予想していなかった、急なことだった。急だったので残された者にとっては大変だったものの、本人はほとんど苦しむこともなく息を引き取ったわけで、その点はやはり良かったのだと思う。晩年の父とはあまり話す機会もなかったことが悔やまれてならない。
云うまでもないことだが、父の急逝は不幸な出来事だった。ただ、このことを除けば、今年は全般的にはそれなりに良い1年だったように思う。
まず、仕事面では、一昨年のように馬鹿みたいに忙しい訳でもなく、かといって去年のように心配になるくらい暇だった訳でもないという状況だった。僕と同年代の多くの人と比べると、だいぶ時間に余裕があってお金に余裕のない生活だとは思うが、今の僕には丁度いいレベルなのかもしれないという気がするような生活である。そして、これまであまり経験したことがない内容の仕事ができたこことも良い経験だった。
他に印象的だったことは、去年までの数年間と比較して、随分多くの人と知り合えたことだ。もちろん新しく始めた仕事関係で知り合った人もいるが、仕事上の接点がない知り合いが増えたのだ。その最も大きな要因は、Twitter上でのラジオ好きな皆さんとのコミュニケーションだ。Twitter上でのやりとりだけでなく、オフラインで実際にお会いした方も少なくなく、昔パソコン通信をやっていた頃に味わった感覚が戻ってきたような感じだ。他にも、よく行く店の常連客とか、そういうこれまでにはあまりなかった形で知り合った人もいて、少し世界が広がったような気がする1年だった。
1年前に書いたものを読むと、今年の目標として「自分が将来進む方向性を打ち出す」ということと「ブログやポッドキャストなどを使ってもっと情報発信をする」ということが書かれている。正直に言って、このどちらもほとんど達成できていない。いろいろな原因は考えられるのだけれど、一言で言ってしまえば、気持ちに十分な余裕がなかった、ということなのだと思う。
さて、今年は1年前に立てた目標のどちらもろくに達成できないという情けない結果に終わったが、懲りずに2011年の目標を書いておくことにする。まず、今年達成できなかった目標は、いずれも僕にとっては大変重要なことなので、これらについてはそのまま来年に繰り越すことにする。
そしてもう一つ、「流れて行く情報を処理するためにかける時間と、流れて行かない情報を処理するためにかける時間のバランスを考える」ということを挙げておくことにする。「流れて行く情報」とは、TwitterやRSSリーダーみたいな、常に情報が流れ続けるようなもののことで、「流れて行かない情報」とは、本や論文など、スタティックなもののを指している。ここ数年、どうも「流れて行く情報」を受け取り、処理するために使っている時間が、「流れて行かない情報」を処理するのに費やしている時間よりも圧倒的に多くなる傾向があるような気がしているのだ。そして、実はこのことが、気持ちに十分な余裕がないという感覚の原因の一つではないかとも考えている。
「流れて行く情報」に多く接することは、最新動向を追いかけたり、知らない分野に触れることにつながる傾向が強く、つまり「世界を広げる」ことにつながると思う。一方、「流れて行かない情報」は、もちろん内容にもよるが、知っている世界をより深く掘り下げていくのに役立つような情報が多いように思う。もしそうだとすると、やはりある程度バランスを保つ必要があると思うのだけれど、最近はそれをあまり上手くできていない気がするので、そういうことを少し意識して生活してみたいと思う。
最後に、ここうを読んでくださっている友人諸氏、友達にはなった記憶はないが何となく読んでやっているという方、たまたまここに到達したという方、どうぞ良い新年をお迎えください。そして、この1年間に何らかの形で僕と接点を持ってくださった皆さん、お世話になりました。2011年もどうぞよろしくお願いいたします。