立憲主義と民主主義 -- 枝野幸男議員の演説より

投稿: 2015年9月22日

先日成立したといわれるいわゆる安保法案についてここにも書いたけど、その中で僕は憲法を遵守することの重要性について強調したつもりだ。

そんな中、先日民主党などが内閣不信任決議案を提出した際の、枝野幸男議員による提案趣旨説明の演説の書き起こしの中に、まさに僕がなぜ憲法遵守を重視するべきだと考えるのかを言っている箇所があったので、以下に引用する。

立憲主義とセットになって、初めて民主主義というのは正当化されます。なぜならば、民主主義は決して多数決主義とイコールではありませんが、多数の意見にしたがってものを決めていこうという考え方であること、これは否定をしません。しかし、多数の意見にしたがってものを決めていこうという考え方は、それだけでは決して正義ではありません。なぜならば、多数の暴力によってこそ、少数者の人権侵害というのは生じるからです。

常に多数でものを決めればいい、多数意見が絶対なんだということであったら、あなたも私もみんなこの社会において安心して生きていくことはできません。今は、それは自民党のみなさん、国会の中で多数、われわれは少数かもしれないけれども、国家全体ということで考えれば、今こうして元気に健康で仕事をさせていただき、こうしていろいろとお訴えをさせていただける少数野党も含めて、ある意味では人生のさまざまな側面において、われわれは多数の側に立っています。

しかしながらたとえば、難病に冒されている方、怪我を負って、障害を負っておられる方、たとえばいろんなかたちでその側面を見れば、少数の立場に立たれている方、世の中にたくさんいます。そして、みなさんも私たちも、今はそうとうの側面で多数派かもしれないけれど、常にある側面を切り取れば少数派である。あるいは人生のいろんな側面において、たとえば不幸にも重い病気にかかったり、事故に遭ったり、常にすべての人間、少数派になることがありうる。少子高齢社会、高齢化が進んでいる社会とは言いながらも、人間歳をとっていけば、歳をとって体が自由にならなくなる、これはやはりそうは言っても少数者でしょう、誰もがいずれそうなる。そうした時に、民主主義、多数で決めることが正義であるというその側面だけを取り上げたら、常に自分が少数の側に立った時に多数によって何をされるかわからない、これでは誰も安心して暮らしていくことはできません。

だから民主主義というのは、憲法によって「少数者の権利」というものをしっかりと守る。「民主的なプロセスで選ばれた権力といえども、ここは絶対やってはいけないんだ」「こういうことはやってはいけないんだ」そういう縛りをかけておかなければ、民主主義は少数者に対する迫害になる。だから民主主義と立憲主義というのはセットなんです。こんなこと世界の常識です。

今回の国会で問題になったことがしっかりと整理されている、長いけど大変良い演説だと思う。上記はそのほんの一部。

論理の一貫性を欠き、質問されたことには答えずに適当にはぐらかして衆参両院合わせて200時間以上の審議時間を捏造した政府答弁とはえらい違いである。