altテキストが示唆するもの

投稿: 2021年6月29日

デジタル庁(準備中)のこんな記事が目にとまった:

DXからデジ道へ!デジタル改革担当大臣が考える「誰一人取り残さない」日本の未来。|デジタル庁(準備中)

こんにちは。デジタル改革担当大臣の平井卓也です。

と始まっている。

この大臣直々に書いたという記事にある3枚の画像に付けられている説明(いわゆる「altテキスト」)が、なかなかに興味深いことになっている。

なお、この件についてTwitterでつぶやいたら、関係者から「改善について担当と調整する」という旨の返信が飛んできたので、この記事を公開できる頃には元記事は修正されているかもしれない。

1枚目:伝えようという意志が見られない

まず1枚目の画像のaltテキストはこうだ。

表:デジタル庁で成し遂げたいこと(中身は前述されたものと同じ)

上記は元記事からそのままコピペしたもの。多くのWindows環境のスクリーン・リーダーではおかしな読み上げになると思うので、普通に読み上げられるようにして張り付けると、

表:デジタル庁で成し遂げたいこと(中身は前述されたものと同じ)

altテキストを付けた人が使っている端末がMacなのだろう、濁音の平仮名と片仮名がいわゆるNFDで書かれているために、読み上げがおかしなことになってしまう環境が多い。

という、符号化の話はあまり重要ではなくて、問題はその記述内容だ。

まず、「表:」となっているが、これ、たぶん表じゃない。 NVDAからWindows 10のOCR機能を呼び出してみると、

デジタル庁で成し遂げたいこと
「日本はこんなもんじゃない」
ということを
もう一度国民と共有したい

という結果が返ってきた。僕の知る限り、こういうときに表は使わない。

そして、これ、直前の見出しが「デジタル庁で成し遂げたいこと」で、この画像の直前の1文が

それらをぐっとまとめて、あえて一言でまとめるのだとすれば、「日本はこんなもんじゃない」ということをもう一度国民と共有したい、ということです。

となっている。(ぐっとまとめた上でさらに一言でまとめているのは、よっぽど圧縮したかったのだろうということにして、文章がいけてないわけではなくてこの方の表現手法なのだということにしておこう。)

直前の記述を受けて「中身は前述されたものと同じ」というaltテキストにしているのだろうけど、そもそも「前述されたもの」というのがどこからどこまでなのかということを、画像を見ずに正確に判断することはできない。その1点でこのaltテキストはこの画像の説明になっていない。

上記のOCRの結果がすべてなのだとしたら、これをそのままaltテキストにするのが妥当ではないだろうか。

本文のテキストの内容と重なるような冗長なaltテキストは避けるべき、という意見もあって、場合によってはその通りだが、このケースにおいては視覚的にもテキストと画像で冗長なものを見せられているはずなので、読み上げにおいても冗長さは残すべきだろう。 ぐっとまとめて一言でまとめている割には冗長だというところも含めて、しっかりと書き手の表現手法を味わいたい。

2枚目と3枚目:このalt、誰が付けてるのだろう?

続いて2枚目と3枚目のaltテキストはこうだ。

2枚目:

写真:平井卓也デジタル改革担当大臣がタブレット端末でnoteの記事を書いている

3枚目:

写真:平井卓也デジタル改革担当大臣が「デジ道」と書かれた紙を持っている

僕はこのaltテキストに何とも言えない違和感を持ってしまった。 記事の冒頭で、

こんにちは。デジタル改革担当大臣の平井卓也です。

と書いていて、この記事を書いているのは平井氏だということが言われているのに、altテキストの書きぶりは第三者の視点で書かれているような印象になってしまっているからだと思う。

これまで僕が触れたことがあるものでは、例えば2枚目の画像の場合は
「筆者がタブレット端末でnoteの記事を書いている」
とかなっていることが多いような気がする。

あるいは「筆者」ではなくてその人の名前が入っている場合もあるけど、だいたい敬称や肩書きは付けられていない。会話の中で自分のことを差すのに敬称や肩書きを付けないのは普通なので、そりゃそうだろう。

つまり、これらの画像のaltテキストは、普通に推測すれば平井氏本人が付けているものではないという印象を与える。

偉い人なんだからそういうことは自分ではやらない、という考えもあろうかと思うけど、記事中にはこんな記述もある:

デジタル庁ではそこに徹底的にこだわるという意味で、アクセシビリティの問題も含め、デジタル社会形成基本法の重要なコンセプトに入れています。

「アクセシビリティ」という言葉にあえて言及しているような人が、自分の記事がすべての人に伝わるようにするための作業を人任せにしているのだとすれば、アクセシビリティーに対する重いがどの程度のものなのか疑いたくなってしまうというものだ。 あるいは、そのアクセシビリティーにはスクリーン・リーダーの利用者は含まれていないのだろうか?「徹底的」なのに?

記事に画像を掲載する場合、その記事の製作者が何かしら伝えたいことがあって掲載するものだろう。 ユーザーが知りたいのはその記事の製作者の意図であるから、altテキストもその製作者が考えて付けなければ、正確なところは伝わらない。

さらに、そういうaltテキストをもし他人が書いているのだとすると、本文すら他人が書いていても不思議ではないと感じてしまったりもする。

もしご本人が付けているaltテキストなら、もう少し自然な文言にしてはどうかと思う。まあこれも独特の表現手法なのかもしれないけど。

たかがalt、されどalt

altテキストはただ付ければ良いというものではない、というのはアクセシビリティーについて取り組んでいる人にとっては常識と言えるだろう。 そこから一歩踏みこんで、それがスクリーン・リーダーで読み上げられた時にどういう情報が伝わってどういう情報が伝わらないのか、どういう印象を与えるのかということまで考えているかどうかで、「伝えたい」という思いの強さが透けて見えてしまうと僕は思う。

そして今回のこの記事のaltテキストを見て、内容次第ではさらにいろいろなことを示唆してしまうのだなと感じた。 altテキストを単に付けるというだけではなく、画像の見た目や本文のテキストの正確さ同様、altテキストの内容にも気を配るべきだろう。そしてできれば符号化方式にも。